入江工研株式会社

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先駆者として、挑戦者として ─現存する入江工研の初期のベローズ成形機─

東京オリンピックの余韻が残る、高度成長期真っただ中の1966年、入江工研(IKC)は創業者の入江則公(以下、入江)によって、銀座でその産声をあげました。

入江は大阪大学工学部を卒業後、日本国有鉄道(以下、国鉄(当時の運輸省))に入省し、工作局(当時)のエンジニアとして車両の製作に従事。当時直流方式しかなかった日本の電気鉄道を、のちに大きく変えることとなる、交流電化方式の開発プロジェクトに車両分野の中心メンバーとして参画。プロジェクトを大成功に収め、現在の幹線の礎を築きました。
交流電化プロジェクトでの活躍が評価された入江は、次の大仕事となる東海道新幹線の開通プロジェクトに抜擢され、その手腕を大いに発揮して難題を次々と解決していきました。この成果は1972年大阪大学工学部博士号の受位、また同年の紫綬褒章受章という形で評価されることとなったのです。

エンジニアとして申し分のない実績を収めつづけた入江は、46歳で人生最大の岐路に立ちます。
「このまま組織を管理する立場として国鉄に残るか、研究・開発の現場でもっと自分を磨くべきか・・・」
悩んだ入江は、過去の栄光を一切捨てて、もう一度未知の世界に踏み込むことを決意します。その熱い情熱で生まれたのが入江工研株式会社です。1966年、プラント配管用の大型伸縮継手の仕事を請け負ったのがきっかけとなり、まだ世の中にはあまり普及していなかった金属ベローズの製作を開始することになったのでした。

しかし、その製造現場は今では想像できないほどの作業環境でした。工場は建屋があるものの地面がむき出しで、雨が降り出すと傘を差しながら金属加工を行う状況でした。また実際のものづくりはさらに厳しく、設備を作るにもきちんとした設計図もなく、つながりのあった鉄道車両業界から部品を集めてきては試行錯誤しながら設備を組み立てていました。それでも入江の下に集まった、腕に覚えのある職人たちは文句も言わず、黙々と成形と溶接を繰り返し、ベローズを作り上げていきました。

その完成度の高さが評判を呼び、ほかの企業からの相談や注文が相次いだことを受けて、装置製造のお客様の課題を解決し、産業の発展に貢献できる金属ベローズとその応用製品の製造を本格化させます。幸いにして入江工研の評判を聞きつけ、入江の情熱に打たれた金属加工や溶接の職人たちがぞくぞくと入江工研に集まったことで、より品質の高い金属ベローズやバルブが可能となり、その技術は約半世紀たった今でも多くのお客様、国家プロジェクトからご愛顧をいただいております。

先代の創業者、入江則公の思いとそれを支えてきた職人たちの、熱い想いが結晶となってつまっている設備を見ることができます。下の画像は、その創業当時にベローズの製作に使用していた成形機で、愛媛県総合科学博物館に現在でも展示されて、多くの来場者にご見学いただいています。

成形機

成形機

ベローズと伸縮装置

ベローズと伸縮装置

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